とりあえずここ数日の表現規制をめぐるブログエントリとツイートを。
まずは一番ホットなエントリがこちらでしょう。
表現規制だけじゃなくて在特会問題もあるわけで、彼女を都知事に推すべく票を入れるのはどうなの?問題でもありますが、「在特会的なものを是としない&在特会のやり方は間違っている&自分が在特会に関わったのは間違いだった」を表明してくれればそれはそれでいいわけで、とりあえず今は表現規制の話を。
これに対して、反論ツイートも流れてきました。
表現規制推進派は大体、「線引き」派ですよ。「過激な表現を規制するだけです」って都条例のときだって散々言われたじゃないですか……。
— ちびず (@tibizu) 2016年7月17日
「線引き」でずっと争ってるのが表現規制問題なんだよね。流行っていて、全年齢楽しんでますみたいな「実績」があれば問題視されない。境界上にある作品が問題視されるし、自主規制はその境界より広めに幅をとって行われるから、思うより影響が大きい。
— ちびず (@tibizu) 2016年7月17日
まさにそういうことで、表現規制は「実績がなく、質が高いわけでもなく、問題のある作品が世に出ることを認めるか」問題です。さらに言えば、何らかの意味で反社会的な表現*1でなくても、そもそも出版社をめぐるシステムそれ自体が伝統的に「実績がなく、質が高いわけでもない作品を排除する」システムとして機能してきた歴史もあり、この問題にストレートに機能する答えはありません。
そもそも「多くの市民が支持するかどうか」で区別を許す仕掛け自体が差別たりうるわけで、市場原理における競争「だけ」差別から外す、ってのもそれはそれでおかしいんですが。
日本国憲法にはこうあります。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
表現の自由を濫用した結果の一つが在特会やヘイトスピーチをめぐる問題であり、もう一つがエロ表現に対する表現弾圧問題だ、と思うところです。
市民的に受け入れられる限度はあるんですが、それは「基本的人権と別枠で」われわれクリエイター一人一人が濫用せず公共の福祉のために表現の自由を活用していくことで達成すべきなのだろう、と。
あと、規制派の皆さんももう少しきちんと話をしてほしいな、と思うところです。実は今回の小池氏の発言は、「規制派*2の歩み寄り」として理解するならとても筋が通っていてありがたい話です。一つの問題点が明らかになるわけで。