音系同人と市場経済/原理の話

結局、需要があって供給があって、需要と供給が繋がれば、そこには取引が発生し得ます。
ボイスコさんのスキル程度で需要を十分に満たすのであれば、あえてバジェットが高くつくプロの声優を使う必要がない、というのは市場原理から見れば1024%正しいです。*1

 

 

 だけど、いわゆる一流どころの声優と(大半の)ボイスコの間にはクオリティ面で高くて厚い壁が立ちはだかるのも確か。
一流の営みに対してどう敬意を払うか、そしてプロとアマの間で流動性を確保しつつどうやって差をつけるか。このあたり、音系同人の社会をどう設計するか、という話と多分直結しています。単に市場原理で「だけ」敬意を払う仕組みを作ってしまうと、それこそアマチュアの力を安く束にして買い込む仕組みが勝ってしまうのは上記指摘通り。

市場原理に代表される徹頭徹尾合理的な仕組みに異議を唱え、非合理に対して力を与えられる枠組みってのは、たぶん哲学や思想といったもの、つまり人文学の世界なんだと思います。
社会をどう設計し、どんな価値をどう実現していくか。一人一人の好き嫌いでもなく、合理性に委ねるのでもなく、熟慮と哲学をもとにみんなで考えて行きたいものです。

 

*1:この手の構造が既得権益を壊してイノベーションを生むという現実もあり、なかなか全否定は難しいところ。

楽譜の著作権と、いろいろな運用の話。

こんなエントリが目にとまりました。

mimeyama004.hatenablog.com

で。わざわざエントリにするってことは、まあいろいろありまして。

前提

日本のブログサービス(当然fc2は除外)で、日本人が日本人向けのコンテンツを日本語で記述する事例を前提とします。

海外が絡むと法の適用範囲がめんどくさいので。

引用用件

文化庁の主張する*1「引用」の成立要件は以下の通り。

○既に公表されている著作物であること
「公正な慣行」に合致すること
報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること*2
カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
引用を行う「必然性」があること
「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)

表紙の著作権

なぜ問題なしと言い切れます?

表紙の掲載は「正当な範囲内」と言えますか?表紙を引用しなければ成立しないエントリならともかく、書籍の紹介に表紙の引用は必要ですか?必要ないですよね?
ちょっと古めのエントリですが
ARTIFACT ―人工事実― : 画像引用はどこまで認められているのか?
こちらを参考として提示しておきます。

 

ただ、ここは有名な抜け穴があります。Amazonのアフィリエイト経由で貼るとAmazonの規約の合わせ技で、「出版社はAmazonに使用を許諾」「Amazonはブログに使用を許諾」が組み合わさってOKになります。
[メモ] Amazonの画像を利用する件について考えてみた | tama’s memo

内容の著作権

むしろ、音楽ライターの場合はこちらは問題が小さいように思えます。

現代の楽譜でも、引用成立で「写真貼っても何の問題もない」という話になりませんかね?上記に掲げた条件さえ満たせば引用になります。現代のピアノ楽譜であっても、引用には何の問題もありません。自由に引用できます。
エントリの雰囲気を作るだけの写真掲載なら引用成立は疑わしいところがありますが、ちゃんとエントリと関連する写真なら引用で行けるでしょう。

で、ついでに楽曲自体は著作権が消えた作品について。日本の法では版面権は保護されないので*3、楽譜のコピーは実は問題ない、という話になります。*4楽譜の写真を使うくらい、出版社のビジネスを阻害しない規模であれば何の問題もないのでは。

 歴史的にはJASRACが音楽に関しては「引用は成立しない」とか言い張ってた時代もあったようですし、最近でも引用が成立しうる領域に対してJASRACがいちゃもんをつけている事例が報告されていました。*5ですが、法の原文には音楽の引用が成立しない、という趣旨は一切記載されていません。運用はともかく、法は法です。

まとめ

書籍の表紙の写真をアップするのって実は危ないよ!Amazonアフィリエイトが便利だよ!*6

本文の写真なら引用で救えるケースが多そうだよ!

 

*1:著作権関係は文化庁の解釈=有権解釈が裁判所で一刀両断食らうこともあるので、文化庁の主張は事実や有効な解釈の表明ではなくあくまで主張、つまり文化庁のポジショントークと捉えるべきです

*2:ただし、この条件は裁判では絶対的とは見なされておらず、本件が明確でなくても引用が成立しうるとする判決も出ています

*3:TPP関係でちょっとキナ臭いですが、現状はOK

*4:楽譜ビジネスや音楽のエコシステムを保護するという意味ではまた別問題で、演奏可能なレベルでの本格的な楽譜コピーやPDFばらまきに関しては確かに問題全否定はできません

*5:おそらくJASRACは意図的にやっているでしょう。引用の成立条件の理解や、あてはめのプロセスへの認識が甘い人には引用もしてほしくない、という立場かと。

*6:blogの無料アカウントだとAmazonのURL貼ると自動でブログサービスのアフィリエイトIDがつくところが多いはず。

クラシック音楽の定義って何?

元祖ライブバー 新宿のロシナンテ さんが、こんな問いを発していました。

ameblo.jp

めんどくさい、というか地雷がけっこう埋もれている話なんでtwitterではなくblogでやってみます。
ちなみに「Classical」の直訳に「一流の」を割りあてるのは単に話を面倒にするだけで、「古典の」って考えたほうがいいと思います。語源は例えばこちら参照。

gogen-allguide.com

といいつつ。

「何がクラシック音楽であり、何がそうでないか」をTrue / Falseで判定する基準は、存在しません。まずはこの事実を受け入れます。
一見クラシック音楽の枠組みに乗っかりそうな曲でも、たとえばこんな限界事例があります。これってほんとにクラシックなんでしょうか?

www.youtube.com

www.youtube.com

で、現場レベルで言うと、こういう「音楽史的にはクラシックの枠組みに乗っかってるように見えるけど、サウンドはどう聴いてもなにかおかしいよね?」といった曲をクラシック音楽から排除したがるのは、「あんまり優秀とは言えない先生や権威」です。

現場的には「クラシックの演奏者は、五線の楽譜に書かれてればとりあえず何とかできる」ものです。それだけでいいんじゃないかなー、と。

www.youtube.com

この曲なんかサウンドも(そして作曲者本人のキャリアも)ジャズなんですが、ジャズメンには難しすぎてクラシックの技巧系ピアニストじゃないと手に負えないって事態が起きてます。

で、歴史的に考えると。

YouTubeの1曲目、この時代は権威に裏付けられた(現代に繋がる)「クラシック音楽」の枠組み自体が怪しい曲です。現代との間をつないでいるのはキリスト教の歴史で、ぶっちゃけてしまえばキリスト教作品でなければ現代から見てクラシックの枠組みに入れられていないかもしれません。*1

現代われわれが読み書きする五線の形が明確になったのは16世紀~17世紀あたりで時代的にはルネッサンスからバロックにかけてです、この時代をクラシック音楽の幕開けと考えるのがわかりやすいんじゃないかなー、と思いますね。

実のところ、クラシック音楽の「定義」は歴史の繋がりに乗っかっているか?で考えてみるといいかもしれません。

モーツァルトの仕事は、大バッハ末期の仕事から繋がっています。そしてベートーヴェンが生まれ、ベートーヴェン末期の仕事がブラームスやブルックナーを生み、そしてマーラーを生み、シュトラウスやシェーンベルクからウェーベルン、シュトックハウゼンやブーレーズと繋がっていく歴史。それこそがクラシック音楽をクラシックたらしめている構成要素です。

ポピュラー音楽とクラシック音楽の繋がりも、一筋縄ではいかない話が色々とあります。
ソ連の大作曲家は多くが映画音楽を手がけていますし、ハリウッドのサウンドを作ったのはコルンゴルト、あのマーラーに神童扱いされた偉大なクラシックの作曲家です。日本の歌謡曲には武満徹の影響がかなり残されているらしいとも言われてます。クラシック音楽がヨーロッパから出て行くにつれて各地域の民族性が結びついたプロセスも無視できません。

まあ、そういうことなので、結論としては「ぶっちゃけどうでもいいんじゃねー?」でいいと思いますよ。

 

*1:この曲に関してはスペインの作品なんで、アラブ系の影響も強いです。時代的にはレコンキスタ直後くらいかな?

音屋・絵師・ボイスコさん側からの企画倒れ対策

音屋さん・絵師さんやボイスコさん永遠の悩み、企画倒れ。

参加する企画がリリースまで走り抜けられるか、そして良い形のリリースが実現できるか。

企画を倒すのが良いとは言いませんが、不可抗力も当然あり得ますし、企画倒れに神経質になるならコンテンツを提供する側としてもある程度の自衛はしたほうがいいと思うんですよね。

というわけで、三輪士郎さんがtwitterでいろいろ語られていたので貼ってみました。

その通りだと思うのですが、フリーランスの仕事って(特に音系だと)まだキャリアを積み上げていない最初のうちは名前が出せない仕事ばかりですよねぇ、というイメージ。
音系同人の世界をうろついていて、「商業の仕事をまとめてもらってきて、同人関係者に配って回るブローカー的な誰か」が存在するのかも?と思ったことが何度かあります。こういうブローカーの人が存在すればBtoBでの宣伝(=表に名前が出なくても内輪の人たちは誰がやったか全部知ってるから宣伝になる)が機能するので問題ないのかも?という構図ではありますが。

ここが本丸ですね。

以前、ボイスコさんへの依頼規定に「原則無償で受けますが、企画倒れした案件については有償とさせていただきます」という趣旨が書かれていたのを見たことがあります。
企画倒れすると、もしくはペンディングさせるとコストがかかる構図は、そのまんま企画倒れさせないインセンティブに直結するので、合理的に動けば多分機能するのだろうな、と思ってみたり。

企画者を事前に信用調査するアプローチを主張される方もいらっしゃるのですが、それって本当に機能するんでしょうか?有名どころの企画者さんはOKなのが分かるとしても、それ以外がどうなることやら。もちろん有名企画者の仕事だけでいっぱいいっぱいになる有力なパフォーマーさんだとこれで機能するんですが。

5.1chヘッドホン買いました

今度の企画(人魚姫)で5.1chボイドラ的何かをやる計画なので、とりあえずヘッドホン買ってきました。

5.1chとかのヘッドホンはUSBや光接続が主流ですが、とりあえず安上がりに手に入れたかったのでこんなものを。

www.amazon.co.jp

うちのPCのマザーボードはオーディオまわりがオンボードで5.1ch対応しているので、通常のアナログ接続で5.1ch繋がるヘッドホンとしてこれを選んできました。
オーディオインタフェースはUS-366なのでこっちだと5.1ch繋がらないですし、ASIO4ALL使えばレイテンシは少々長くなるもののオンボードでもASIO使えますからOK。

 2000円のヘッドホンなのでゴミになってもしょうがないかなーと思って買ってみたんですが、激しい使い方しなければ十分実用になってくれそうです。

某所の技術展示会/セミナーで、5.1chでミキシングすると普通の音楽でも低い音量レベルで高音圧が確保できておまけにHi-Fiになる経験をしていまして、今回自力でもある程度実現できました。

5.1chのミキシングアプリケーションは、Adobe Auditionを使ってます。

creative.adobe.com

AdobeCCは映画制作を想定しているので、通常のDAWと違って通常の音楽制作には向かない*1一方、こういう5.1chとかの機能は充実しているんですよねぇ。

近いうちに、実験兼ねてKhronos第1曲&終曲の5.1ch版作ろうかなーと思ってます。アレ、一部の金管がバンダ=後方から聞こえてくる設定で作ってたんですが、当時は立体音響系手が出なくて実現できなかったんですよねぇ。

*1:不可能ではないです。Finaleと連携させて小編成を手軽に作るには一つの選択肢

過去記事紹介:企画術の記事

うちのサークルとしての社会貢献事業の一つ、企画術のまとめ。

過去に大失敗で大事件を起こした身として、自分たちの失敗を踏まえた上での機能するノウハウの展開や、よその活動者さんが公開されているノウハウに対するコメント付けといった活動を展開していきます。

というわけで、昔の企画術記事を改めて紹介。

 

h-chromatique.hateblo.jp

よそのブログで2.8mile問題を通じて「企画べからず集」的な記事が公開されていたので、
おそらく元のブログ主は一連の2.8mile問題を興味本位で追いかけている方かなと予想しているのですが、そういう立ち位置が幸いして普遍的なノウハウとして機能するような記事になっていました。まさに、林先生の記事 【2244】興味本位はダメですか?‏ への答えを体現する現象かと。

 

h-chromatique.hateblo.jp

音系同人では、なぜか企画主と参加者が「仲良くする」ことを否定し、「仲良くする」ことを要求する企画は危ないというノウハウが提示されることがあります。

なんですが、ビジネスの世界では「チームビルディング」ってノウハウがあることで見える通り、チームが仲良くなければまともな仕事はできないというのが一般的な見解です。

ただ、フリーランスの仕事の世界だとチームビルディングって百害あって一利なしの世界なんでしょうか?ちょっとここは個人的にも分からない話。

h-chromatique.hateblo.jp

IT業界x音系同人業界でノウハウ共有しませんか?という話。

「どう依頼すればいいか分からないけど、自分で手を動かすことはできそうにない」ような作業をどうお願いしていけばいいか、という話題です。

個人的な見解を言ってしまえば、誰かに表現活動をお願いする以上、ロボットやソフトのオペレーターになってほしくはないな、と思っていたりします。

企画のトラブル回避ノウハウ

これね。

ajinori800.hatenablog.com

このblogの本題自体2.8mileなんですが、この記事自体はそれなりに普遍的な話*1を語ってると思うので論評。
なお、本記事で引用元特記なき引用は、すべて上記blogエントリ内からの引用です。

違和感を放置しない。

これとっても大事。ロジカルじゃない違和感こそが発見の第一歩です。良い意味でも、悪い意味でも。
ノーベル賞級の研究だって、ちょっとした違和感が実現の出発点になってたりします。白川博士のノーベル賞研究だって、発端は助手の実験ミスです。

有名人と知り合いであることを事あるごとに自慢する人物には注意。

人間関係絡みでよく言われるノウハウですね。それ自体が詐欺的行為と直結しているロジックは多分ないんですが、人格に問題がある人はあらゆる種類の不正を行いやすいという相関で導ける話なのかな。

スケジュールは余裕を持つこと。当たり前だがなかなか守られていないのが現実。

それ自体はとても大切なことですが、根本目的違うだろwwwwwww

内部での情報共有は、誰かを介してではなく直接行う。

「当然」です。そもそもチームを立ち上げる時点で情報共有プロセスとか熟考しておくべき。

チーム内の情報共有を1:1でやるのは本来間違いだと思ってます。ただ、「オープンの場には出せない」という類いのクレームをどう扱うか、という課題が残ります。
スジだけを通すなら「オープンの場に持ち出せないクレームには理由がないので持ち出すな!」なんですが、それはそれで心情的な問題は解決できないしなぁ……
うちの場合、「クレームはこの人に」という窓口をチームの内部からちょっと離れた場所に用意して、直接言えない類のクレームをチーム運営の改善に繋げていくプロセスとして位置づけています。

主催は、完成音源だけではなく一部のパートをオフにした音源など、作者本人でなければ出すのが難しいデータを提出させ、本人確認を行う。 

 これ、上記blogでも書かれている通り決定打にはなってません。が、確実に有益な一手法ではあります。
「オリジナルのMIDIをベースに偽装する」類の事案や、メロディーだけ完パクリといった事案にどう対処するか、改めて考えたいところ。
商業だと損害賠償で片付ける事例が多いと思いますが、損害賠償を事前に合意したと仮定しても同人では2.8mileの事案をベースに考えると「賠償能力ありません」で逃げられてしまう可能性が高いですよねぇ(苦笑

企画を立ち上げた時点でCD制作の費用が用意されていないのは論外

 用意自体はされてなくてもいいんじゃないかなー、と思いますね。必要な予算の用意のめどが立っていればOK。
妖精郷だと400枚ってことなんで、普通に作ったら10万円~20万円のオーダーで済みますよねぇ?2.8mileにとっては特殊な事情があって厳しかったとしても、標準的な企業に勤めるフルタイムの社会人ならボーナス1回分でまかなえる金額です。そんなにハイリスクではないと考えるのが妥当。リスクとして残ることは認めますが、同人である以上ゼロリスクを求める話じゃないはずです。
たとえお金を用意しておいたとしても、例えば事故を起こして損害賠償に全額消し飛ぶといったシナリオは当然あり得ます*2。なので、制作費不足は「用意しておいたとしても」リスクとして残ると考えてます。

てかですね。2.8mile関連の一連の事件、浦賀船渠/豊郷ティータイム問題と同じで、こういうことなんですよ。

 

 2.8mileがやったのもそういうことです。もちろん法的な問題もある犯罪ですが、それ以上に音系同人の性善説を破壊している。

……なんですが、疑心暗鬼が広がると、ちょっとした失敗が性善説の破壊に力を貸してしまうんですよね。それもそれでどうなのかなーという気もします。
本来は、誰かの失敗を悪意を持って読み解く時点で性善説の破壊だろ?というところもあって。

*1:ただし構造自体は音系同人特化なので、他の分野に持って行くときは読み替えは必要

*2:差し押さえ食らったら「制作費!」って言い分は通らないはずです

人権を持つ暮らしの未来と、ポストモダン

前提として、われわれが高校の公民で学び当たり前の理想像と考えている「基本的人権」は17世紀のホッブスの仕事から立ち上がった概念*1で、実質的に市民が基本的人権を享有し、基本的人権の恩恵を得るようになったのは18世紀のフランス革命や19世紀のアメリカ南北戦争、そして日本では19世紀の明治維新&不平等条約是正および20世紀の第二次世界大戦敗戦&GHQ占領(八月革命)によって確立された社会によるものだ、という認識を置いておきます。

これらの認識からほぼ明確な通り*2、近代においては人権は王権をはじめとした絶対権力への抵抗として立ち上がってきました。そして、21世紀の現代(=ポストモダン)においてはほぼ全世界で絶対権力が鳴りを潜めています。この成果自体は、一連の人権思想の勝利と考えて良いものでしょう。
一方、人権思想の勝利に伴い絶対権力が壊滅した社会*3では前提たる絶対権力への抵抗という構図自体が失われてしまっているのも事実で、おそらくポストモダンにおける人権思想の出発点はここなのかな、と。

ポストモダンにおいては絶対的な敵が存在しない*4わけで、権利行使自体の正当性も単純なものではあり得ません。……というか、そもそも基本的人権の絶対性自体が大きな物語になりかねないわけで、基本的人権自体も改めて考え直されるべきなのかな、と。

以下推測なので折りたたんでおきます。

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神道についての素朴な疑問

神道x音系同人というと、現状では霞月さんがオーソリティって扱いでいいの?

とはいえこういう話は誰に聞けばいいんだろう。というわけでさっき個人アカウントで出した質問を整理してこっちにも。

  1. 幕末~明治初期に国家神道(=伊勢神宮?)と別枠で公認された「教派神道」の枠組みには、普通の人だと「普通の神社」として扱いそうな出雲大社から、誰がどう見ても「普通の神社」とは言いがたい天理教・金光教まで含まれているわけだけど、天理教や金光教も神道の一派として扱うのが古事記・日本書紀から連なる伝統的な神道に対する理解として妥当なの?
    それとも、もっと逆に出雲大社すらも伝統的な神道として扱うべきじゃないの?
  2. 国家神道は1930年代~1940年代前半に日本を戦争に突入させて7桁の市民を虐殺した歴史があるけど、あれはISISやその他のイスラム過激主義勢力が戦争やってるのと同列に、またはオウム真理教のような破壊的カルトがサリンばらまいて当時の日本国家権力にケンカを売ったのと同列に理解すべきものなの?
  3. 靖国神社は1930年代~1940年代の戦争を美化する存在なんだけど、アレは伝統的神道から見てISISやアルカイダのような異常な宗教組織と同列と扱うべきものなの?それとも、伝統的神道の範囲で説明がつく存在なの?その場合は神道自体が国際的に反社会的ということになりかねないけど、まあキリスト教だって十字軍で大虐殺やった前歴はあるしなぁ……

【拡散希望】M3準備会関係者による活動妨害を確認しました

先日から言及していたプロパガンダの件ですが、プロパガンダを行った人間がM3準備会と関わりを持っていることを自白しました。(以下スクリーンショットおよび引用ツイート参照)

本件についてはM3準備会関係者による活動妨害プロパガンダと見なし、相川さんによる教育が実質的に不十分であることの証明とさせていただきます。

本件プロパガンダは加害者の側が過去の対話の効果を実質的に無効化するものであり、この場にて強く抗議します。