今日のネタは、まずはこちらの連続ツイート引用から。
僕のはいま活動の7割ぐらいはゲンロンの経営雑務に割かれていて、原稿を書いたりものを考えたりする暇はあまりない。しかし僕としてはそれこそが批評を後世に残すために重要な作業であり、ぼくの仕事の本質だと考えていて、その点では別にストレスを感じていない。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 29
けれども、じゃあインタビューに来たひとに、ぼくがいかに雑用をこなしているか蕩々と語るかといえば、それはしない。相手はそれを聞きに来ているわけではないから。雑用は大事だけど、その話は別にぼくたちの商品価値を上げない気がする。昨今、作家やクリエイターはその点を誤解しがちではないか。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 29
作家やクリエイターは、やはり作品の中身や理念を語るべきだと思う。国際展に参加するのがどれほどたいへんか、予算取りや人間関係の構築がいかに大事かなんて話は、仲間内ですればいいだけで、やはり公的な場では別の役割を演じるべきではないだろうか。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 29
多少手厳しくいえば、「作品の理念なんてもう語りたくない、自分は中立的なプラットフォーマーでいたい」というひとは、「雑用についてだけ語る仕事のできる俺」という別のナルチシズムのなかに囚われているように思う。ゲンロンカフェを運営している自分への自戒を込めて、そう思います。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 29
批評にしても、(1)批評万歳、純文学万歳、おれだけが真理わかってるぜ芸術尊いぜみたいなのは論外だけど、(2)文学とか芸術とかどうでもいい、サブカルもなにもかも等価、勝ったものがちなんだからプロデューサー目指すみたいなのも論外で、やっぱその両者を超えなきゃいけないわけです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 29
しかしそのうえで先日あんなツイートを流したのは、さすがに状況悪くなってきて、そういう「愛」「熱意」を足下から切り崩し始めていると思ったから。これは出版に限らない。昨晩記したとおり、最近は美術家も補助金がどうとか金回りの話をするひとが多くなっている。学生もそんなものだと思っている。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 30
昨晩の繰り返しになるけど、僕は僕自身雑用や資金繰りが本質だと思いつつも、しかし作家やクリエイターが雑用や資金繰りの話ばかりし始めたら終わりだと思っている。ところが後者に傾斜する状況があって、そこは改善しないとまずいよねというのが主張の趣旨。要みんなあまりに貧乏臭いんですよ。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 3月 30
で。
市場原理主義ってのはあらゆる営みについて交換に用いられる通貨量を用いた1次元の価値以外を認めない考え方なので、結局金回りの前にはあらゆる価値観が等価というわけです。そういう平等さが文化を良いものにするかというと、市場原理主義の信奉者は「良いものにする」と考えてたりします。ですが、市場原理主義って結局共産主義と同じくらい頭でっかちな考え方であって、成立はするかもしれないけど人間性の根幹を忘れていると思うんですよ。
そういう意味で、東浩紀さんの一連のツイートには共感していきたいし、大切な考え方だと思います。
同人音楽ってのは、BtoBのショーケースとして使いこなせる一部のクリエイターを除いては結局スキルの安売りをしないと成り立たない世界だ、ということは明確に認識したほうがいい時代が来てます。とはいえ無制限な赤字を是とすることも活動(=文化)の持続性の意味で良くないし、答えを見つけるのはなかなか難しそうです。
同人ではある程度割り切って「安くても参加してくれる人のスキルは申し訳ないけど安く買います!」でしょうがないんですかねぇ。