今日の発端はこれ。
48の時も、サイト公開直後からサイトを認証性にしなかったこと(要は俺ルールに基づく)についての抗議が来て、その対応に苦慮したことが事務作業の停滞を招きました。
— 綾瀬なずな@CSP6 1日目M21a (@n_ayase) 2015, 3月 24
昨日つぶやいた48の件は、それまで10回以上、贔屓目を無くしても企画が他より充実して参加者からも支持されるイベントを開いてきたような人でも、所謂「叩き」に対処する中でおかしくなっていってしまうんだよという話であり
— 綾瀬なずな@CSP6 1日目M21a (@n_ayase) 2015, 3月 25
何をやってもおかしな批判が来る可能性ってのは当然あって、そういうものに対応する必要はないんです。新規のプロジェクトに関しては、通常はどう「思われるか」より、どう「あるべきか」というのが重要。*1
なんですが、批判への対応に失敗すると粘着を生んでまずいことになるわけで、
ネットの口コミは、固定のアンチが5人ぐらいいるだけでもうどうしようもない状態になるので(最近だとカオスラウンジなどが良い例)、ネットユーザーを主な顧客にするのは言論人やクリエイターとしてたいへんに危険。3.11以降学んだことのひとつがそれです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2011, 11月 12
こういう話もあります。
不穏当な批判であっても、批判する人に「無視された。不当だ!」と思わせてしまうと固定のアンチが生まれてどうしようもない状態になります。
相手がちゃんと話をできる人なら、政治の現場からは
事態を打開するためにどんなことでもする、妥協も辞さないという覚悟もない人間と会ってどうするのか。政治家の会談ってのは腹を割って話し合って落とし所をさぐるためのもの。一方的に言いたいことだけ言って帰るのであればメッセンジャーを寄越すか、なんなら手紙でも置いてってくれればいい。
— ǝɐʞnɯɐʞɐu (@nakamukae) 2015, 3月 25
こんなツイートも上がってますが、このブログエントリの発端になる話が「ちゃんと話をできる人」の批判とはちょっと思えないし。
じゃあ、無視するために事前にどんなプロセスが必要なのか。
批判の概要を自らblogで発表し、以上の件について問題とは考えておりません、と言い切る手段を思いつきますが、有益なんですかねぇ。
あんまり酷い話になれば、とりあえず告訴状を提出して「○○県警に対して、偽計業務妨害の疑いで一連の問題について告訴状を提出いたしました」と発表するのは有益?*2