つらつらと、ここ最近の検討を。
- 表現の自由は、ありとあらゆる自由権の中でも最も重要な部類に属するもの
- 自由権がない社会をお望みなら話は別だけど(ex. 北朝鮮)、日本は一応自由主義国家のはず。少なくとも日本国憲法(政権与党がガン無視してるけど)にはそう書いてある
- 表現の自由は、表現に対する批判/評論を受けない権利では決してない
- 表現の自由を擁護しつつ文化の質を保つことは可能か?
- 文化の質とはそもそも何か?→生まれうる作品の品質の「上限」か?それとも「総体」か?
- 「ゴミ作品が大量に生まれるが、そのごく一部に良い作品がある」文化は良い文化と言えるのか?そもそも文化の良し悪しとは何か?
- 文化を良い形に導こうとする営みは、果たして自由との間でどのような緊張関係に立つか?
- 資本主義(市場原理)は良い文化を生み出すことができるか?
- 専門家に対する敬意=評論/批評のインフラの成立可能性は失われているか?
- そもそもゴミ作品が生まれてくる可能性を担保する場を維持することは、反文化的か?
- ゴミを淘汰する仕掛けは表現の自由を破壊しうる仕掛けとなるか?