合理的に考えたら、社会的リソースを他人より多く消費する市民や、社会に対して多くの収益を還元しない市民を社会から排除するのは当たり前なんですよ。
ですが、特定の市民を「合理的に」排除することは、自由主義の観点からは絶対にあり得ないことです。古くはナチスドイツの優生学やアウシュビッツという失敗例もありますし、わたしたち日本国民は日本国憲法という形でそのようなことを政府がやってはならないということを約束しているはずです。
だから、自由主義の前提には合理性はないのです。合理性が自由主義と対立するのであれば、わたしたちは自由主義を実現するために合理性を捨てるのです。
……と、茨城県方面から流れてきた胸くそ悪いニュースを見て思ってみたり。
障害者は社会リソースを一般市民より多く消費するのは間違いありません。福祉ってそういうことですから。
だけど、私たちは自由主義の観点から、障害者が非障害者と同等に生きる権利を持っていることを当然のものとして認識しています。その権利を前提とすれば、社会リソースの消費は問題であるとしても「解決すべき問題」であって、解決方法は「障害者を殺す、生まれなくする」ではありません。