同人創作の本質と、コンテンツの複製可能性について

「コンテンツ」の本質として、複製可能性を掲げる人が多いです。それ自体はそれなりに正しいと思いますし、なにより複製可能なコンテンツになったことで、コンテンツを産業革命以後の大量生産大量消費の枠組みに乗せることが実現したわけです。

同人創作のインフラも、同人即売会に代表される通り大量生産・大量消費が前提になっています。同人即売会とは、多数のサークルを同一の枠組みで取り扱い、多くの参加者を受け入れ、大量の頒布物のやりとりを行う、まさに大量生産・大量消費のイベント。
とはいえ、同人即売会に一品モノの創作を持ち込む人もそれほど珍しいわけではありません。原画、グッズ、ハードウェアといった領域では、一品モノもしくはそれに近い少量生産物がむしろ主流です。

それとは別に、創作は必ずしも有形物に固定されるものだけとは限りません。例えば音楽は古来固定されておらず、その場で演奏される一回性のある創作を楽しむものでした。
では、そういう一回性、言い換えれば体験そのものを同人の枠組みに流せるのか?というお話。

 例えばコスプレもそういうことですし、元々私の同人活動キャリアの立ち上げはFirst Soundsの立ち上げから。つまり音楽発表会、一回性のある音楽を楽しむ場の立ち上げがスタートラインです。
なので……というと党派的な言い方にはなってしまいますが、こういう考え方、全面的に共感します。

さらに、ニコニコ動画をめぐっての言説。

 そういうことなのだ、と思います。本来「同期して一回性のある創作を味わう」ものだった生の体験の一部が、ニコニコ動画特有のリアルタイムのコメントによって複製可能、タイムシフト可能になった、という現実。

たぶん、同人の本質は大量生産・大量消費よりもっと手前、自由そのものにあるのでしょう。*1

*1:だからこそ、自らの自由を破壊しようとする同人即売会に対しては厳しく指摘することになります

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