批判の粒度を考える

先日出したblogエントリ。

h-chromatique.hateblo.jp

この記事をめぐって、先日ちょっとした議論ができました。

本丸は「アイデアをアイデアとして受け入れない」ことじゃなくて、タイミングに合わせて適切な粒度の批判でないと意味がない、という話なのかもしれません。

ふくいち観光地化計画だと現時点では理念レベルの話なので、理念層の批判でないと意味が小さい。たとえば今の段階では「ふくいちの観光地化は不謹慎だ!」という批判に対してはたぶん有益なディスカッションをフルパワーで進められる*1一方、「観光地化といっても、観光インフラを支えるマンパワーはどこから出てくる?資金源は?」という問いには「……まだそんなこと何も考えてませんが?」で終わるだけだ、という話なんですよ。
で、ここで「そんな雑なアイデアは受け入れられない!」に対しては「あなたに受け入れられる必要はなさそうですね」で終わってしまうので、多分有益なディスカッションではなく単なるノイズとして響いてしまって、お互い幸せになりません。

……てか、ゲンロンがふくいち観光地インフラを経営するつもりは多分最初からないんで*2、まあこれでいいんですよね。

ちゃんと粒度に心を配るような真剣勝負のディスカッションができる場、やっぱり考えたいですよね。クローズドな場でないとまずいだろう、というのが最近の思考です。

*1:とはいえここは東さんが最初から予想しているので、甘いボールを投げても吸い込まれるだけですが

*2:「口ばっかり」なんじゃなくて、思想家の仕事はそこまでなんです。運営に手を出すのは多分この件だと境界線突破行為。思想家の仕事範囲外でもゲンロンカフェは思想を支えるインフラとして運営しているでしょうが、ふくいち観光地はとてもそんなものじゃない。

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