結局、需要があって供給があって、需要と供給が繋がれば、そこには取引が発生し得ます。
ボイスコさんのスキル程度で需要を十分に満たすのであれば、あえてバジェットが高くつくプロの声優を使う必要がない、というのは市場原理から見れば1024%正しいです。*1
例えば、ボイスコとかネット声優なんかが商業の仕事をやりだす。企業や開発会社は「安くて、大量にいて、しかも使い捨て可能」な方が楽だからそっちに流れる。正式なプロとかの仕事が減る。賃金とか契約が使いづらい。声優の賃金が減っていく。ここまでひどくないけど、今この流れが始まりつつある。
— ギブリ (@dogcatrockjp) 2015, 7月 9
「ごっこ遊び」が流行るって良いことだと思うんです。ただ、特に声優は「プロ」と「ごっこ遊び」の境目が分からなくなって来ています。それは「ごっこ遊び」のレベルが高くなった訳ではありません。ただ、「お金」を見ている「大人」が見境がないだけの話です。悲しいけど「お金」なんだよなぁ。
— ギブリ (@dogcatrockjp) 2015, 7月 9
まぁ、あとは「プロ」は「わかってる」からプロなので、「言いなり」にはならないんですよ。ごっこ遊びの「素人」は「わからない」から「言いなり」にしやすいんですよ。それもまた使いやすいし捨てやすいのかな。
— ギブリ (@dogcatrockjp) 2015, 7月 9
だけど、いわゆる一流どころの声優と(大半の)ボイスコの間にはクオリティ面で高くて厚い壁が立ちはだかるのも確か。
一流の営みに対してどう敬意を払うか、そしてプロとアマの間で流動性を確保しつつどうやって差をつけるか。このあたり、音系同人の社会をどう設計するか、という話と多分直結しています。単に市場原理で「だけ」敬意を払う仕組みを作ってしまうと、それこそアマチュアの力を安く束にして買い込む仕組みが勝ってしまうのは上記指摘通り。
市場原理に代表される徹頭徹尾合理的な仕組みに異議を唱え、非合理に対して力を与えられる枠組みってのは、たぶん哲学や思想といったもの、つまり人文学の世界なんだと思います。
社会をどう設計し、どんな価値をどう実現していくか。一人一人の好き嫌いでもなく、合理性に委ねるのでもなく、熟慮と哲学をもとにみんなで考えて行きたいものです。
*1:この手の構造が既得権益を壊してイノベーションを生むという現実もあり、なかなか全否定は難しいところ。