さて、予告通りの続編。
前回の記事はこちらをごらんください。
イノベーティブであることと、社会の理解 – Harmonie “Diary” Chromatique
いろいろとお騒がせなカオスラウンジの活動。
なぜ彼らが評価されていたか?そして、活動初期からたくさんの敵を作ったか?
実はこの問題、とても単純なものの見方があります。
かつてカオスラウンジは村上隆さんの支持を受けていました。そして、彼らの思想的中心である黒瀬さんは芸大で学位取ってる人。
というわけで、彼らは「現代アートの領域からは」一定の支持を受けているわけです。
だけど、オタク界隈からは支持を受けられなかったどころか、不祥事的存在と見なされています。
カオスラウンジは、自分たちの作品をアート界隈に向けて発信していたのでしょう。おそらくそれは間違っていません。
そして、アート界隈は自分たちの考え方で作品や文脈を評価し、それなりの価値を認めた。即ち、カオスラウンジは自分たちの作品の価値をアート界隈に向けて説明した結果、説明責任を果たしたと認められたわけです。
しかし、カオスラウンジの作品はアート界隈に閉じてはいません。オタク界隈にとっても一定の意味があります。なぜなら、オタク界隈の成果物がカオスラウンジの作品には不可分のものとして使われているわけで。
オタク界隈から見たらカオスラウンジは単なる剽窃者であり破壊者です。自分たちの価値観を破壊する存在です。カオスラウンジはオタク世界に対して自分たちの価値を説明することに失敗し、説明責任を果たしていません。
カオスラウンジがオタク世界からフルパワーで認められることを目指しているかというと、おそらくそうではないでしょう。彼らの作品は画廊に並ぶことこそあれ、とらのあなやメロンブックスに並ぶことは考えにくいです。
だけど、彼らはオタク作品を使って創作をしている身。最低限の説明はオタク世界に対しても必要なのではないでしょうか?
というわけで、「自分たちの活動が係わる世界の人たちに対して一定の説明をする」ことが必要であり、カオスラウンジは本丸以外への説明が不十分だったのでは?というお話だったりします。
もうちょっと一般的なお話に落とし込んでみると、破壊的イノベーションを資本家たちの勝手で進めないでくれという話もパラレルなんですよね。
自民党は基本的に資本家たちの党なんで資本家の利益を代弁するのが彼らの仕事ですが、彼らが与党であるから彼らの論理をすべて実装してもらっちゃ困ります。
労働者への説明も欠かせないし、労働者が声をあげているのに無視しないでほしい、とは思いますよね。いくら民主主義といわれても、民主主義は数の暴力や資本の暴力を是認するシステムではありませんから。