わたしはこれまでに色々な同人活動をやってきました。その中には成功したもの、失敗したもの含めて、多かれ少なかれ政治と直結したアクションを必要としたものもありました。
その経験をもとに、クリエイター一人一人が政治とどう向き合うか、考えてみました。
私自身も何度か考えを変えてきている話題なのですが、いまの考えで当面は落ち着きそうなので、自分の思考のまとめとして。
以下長文なので折りたたみます。
~オーケストラ、ピアノ、合唱、写真~
わたしはこれまでに色々な同人活動をやってきました。その中には成功したもの、失敗したもの含めて、多かれ少なかれ政治と直結したアクションを必要としたものもありました。
その経験をもとに、クリエイター一人一人が政治とどう向き合うか、考えてみました。
私自身も何度か考えを変えてきている話題なのですが、いまの考えで当面は落ち着きそうなので、自分の思考のまとめとして。
以下長文なので折りたたみます。
SEALDsの活躍とか含めて「民主主義とは何か」という議論が一時期面白かったですよね。
こんな本が出ていたりもしますが、本記事エントリは民主主義がカッコつきです。
以下長いので折りたたみます。
合理的に考えたら、社会的リソースを他人より多く消費する市民や、社会に対して多くの収益を還元しない市民を社会から排除するのは当たり前なんですよ。
ですが、特定の市民を「合理的に」排除することは、自由主義の観点からは絶対にあり得ないことです。古くはナチスドイツの優生学やアウシュビッツという失敗例もありますし、わたしたち日本国民は日本国憲法という形でそのようなことを政府がやってはならないということを約束しているはずです。
だから、自由主義の前提には合理性はないのです。合理性が自由主義と対立するのであれば、わたしたちは自由主義を実現するために合理性を捨てるのです。
……と、茨城県方面から流れてきた胸くそ悪いニュースを見て思ってみたり。
障害者は社会リソースを一般市民より多く消費するのは間違いありません。福祉ってそういうことですから。
だけど、私たちは自由主義の観点から、障害者が非障害者と同等に生きる権利を持っていることを当然のものとして認識しています。その権利を前提とすれば、社会リソースの消費は問題であるとしても「解決すべき問題」であって、解決方法は「障害者を殺す、生まれなくする」ではありません。
自分の考えをメモっておきます。
●前提:はすみとしこのやってることはアカン。全世界の共通した理念をぶっ壊しにかかっている。人道的にアカン。(じゃあ法律的にどうなんだ?という話はありうるけど、今回はぶっちゃけどうでもいい。はすみとしこに対する集団的攻撃や制裁は議論の射程外)
●じゃあ、はすみとしこを支持すること、支持を表明することはアカンか?→とりあえず人道的にダメ、という主張はありうるし否定はしないけど、ルールとして全世界で共通して成立するとは言いがたい。てかヨーロッパとアメリカにおける「表現の自由」の重みの違いに直結。
●はすみとしこ支持者のリストを公開する行為はアカンか?→常識的にはダメだろ。で、真にダメかどうかは神戸地裁の掲示板プライバシー事件判決 (解説: http://homepage3.nifty.com/matimura/hanrei/netprivacy/ )の射程を見比べる必要がある。
●この手のプライバシー暴露事案で、一般論として暗黙の意図ってのはどうなるんだ?→上記判決ページでは「被告の本件掲示行為の時期、背景、その内容等に照らせば、被告の本件掲示行為には何ら正当な理由は認められないだけでなく、被告は、原告に反発を示すニフティ会員が、被告の開示した原告の個人情報を利用して原告に対する攻撃的対応(原告がその後実際に受けたと認められるような嫌がらせ電話等を含む。)に及ぶことも十分ありうることを認識、予見して、本件掲示をしたものと推認される。」と言ってる。「推認される」って表現を使ってる以上、おそらくそういうこと。
●てわけで改めてはすみとしこ支持者リストの公開に戻ると→しばき隊/C.R.A.C.は新大久保デモ含めて暴力的事案で逮捕者を出している集団。掲示板事案以上に、「そういう事態に及ぶことも十分ありうることを認識、予見しているだろ」という主張は通しやすいはず。
●一方で、2ch流の「一般公開している個人情報を別のところに転載するのはOKだ」って考えはどうなのか?→神戸地裁判決の射程外。てか、この手の件については世の中でまだ判決出てない。
●じゃあ、はすみとしこを支持することはアカンのか?→少なくとも日本法ではそういう支持を禁止してない。ヨーロッパだと法の精神的には禁止されてもおかしくない領域だけど、この手の事案に対する日本法のアプローチは基本アメリカ流。現状の日本法では制限かかることは考えにくい。だが、言うまでも無く、法でOKされてるからといって何をやってもいいわけじゃない。
●法はどうなるべきか?→現状の日本では、ヘイトスピーチ禁止法含めてヨーロッパ寄りの方向に向かうべきだと思う。アメリカ法ベースの考え方は日本ではおそらく浸透しない:そもそも国民性、市民性の時点で日本においてアメリカ的な自由が真に定着することはありえない。
前提:
十分に大きな規模の社会*1において、2人しか是としない提案を採用することは、民主主義ではない。
本来は熟議の過程をとって2人(=少数派)の納得を得るべきだが、とりあえず直感的な話として以上を前提とします。
プロセス:
(1) ある提案Xについて支持する2人と(他の人は支持しないので)支持しない1人で合計3人からなる会議を作り、多数決主義で多数決を取る。この3人で多数決を取ると、2人の意見が通る。よって、この会議の多数決による意思は提案Xである。
(2) 次に、会議に参加した3人とよその2人を集めた会議を作り、もう一度多数決を取る。すると3人は(1)の多数決によって決まった提案を支持するので*2、5人の会議体の意思は提案Xである。
(3) 次に、この5人によそから4人混ぜてきます。これで9人の提案になりました。
(n) 以下, k_n = k_n-1 * 2 – 1 (ただしk_0 = 2) となります。漸化式を解くとこうなります。 k_n = 2^(n-1) + 1 となり、会議体を複数かますことで指数関数的に支持者が増えます。よって、2人が支持する提案Xは、どんなに大きな社会においても多数派となります。
矛盾:
……なわけないですよね?
おかしいのは、(1), (2), (3)… というプロセスそれ自体です。熟議をかまさずに多数決主義をやると、こういう形で「2人が賛同する意見は全て多数派」という状況を作れます。
先日のコミックマーケットにて、サークルチケットの不正転売の容疑で2つのサークルが追放処分となりました。
出展サークル専用通行証のネットオークションへの出品を行ったサークルの参加お断りについて
配置担当者からのひとこと欄にも、「デジタル(その他)配置担当→企業について」の欄に追放処分の実施をうかがわせる記事があります。
コミックマーケット88 スタッフからの一言コーナー スタッフからの一言コーナー
で、こういう処分ってアリかナシかで言えば、個人的には「条件が満たされればアリだ」と考えてます。むしろ条件がどんなものか、が問題。
一般論として、以下の条件はあるところでしょう。
これらの考えからすると、サークルチケット転売事案については十分にOK、企業とサークルが一体化した系の事案については微妙なところになります。「企業が参加してはならない」というルールはありますが、「企業からの受託を受けてはならない」が追放に値するレベルの問題、特に企業とサークルが一体視されるレベルの問題か、というと疑問が残ります。そもそもそうやって一体視されたサークルは企業としての実態を持っていない可能性があり、「サークルに戻る」ことすら難しくなるような気もします。*3
次に、ペナルティの実質的な内容が気になります。2つのサークルが追放になったとして、追放の射程はどこまでなのか。
例えば代表者を変えても追放処分は解除されないのか。追放されたサークルの代表者/メンバーが参加するサークルは追放処分の対象なのか。追放されたサークルから同人誌の委託を受ける行為はOKなのか。
ボーダーラインを公開することは困難です*4が、コミックマーケットの過去の言論を見ると「当該サークルと連続性のあるサークルのみ追放」な気がしなくもないです。
で。世の中には、こういう形で説明がなされない追放事案もちょくちょくあるのだろうな、と想像はしています。正当な理由がない限り、言うまでもなくアウトに決まってます。
法的、というか一般社会の解釈では同人活動も「モノをお金で売っている限り」営利であると見なされます。となると、正当な理由なくある組織の営利的な販売機会を意図的に奪う行為はよろしくないものでしょう。*5
ただ、即売会がインフラとしての役割を果たしているとしても実態としては民間対民間であることを考えると、公的なレベルで通る説明責任を要求する必要はないとも思っています。ルールの想定範囲外の事態というのも起こりうるでしょうし、即売会は主催者レベルでも多くの場合しょせん副業。完璧なルールを求めるのは理想であって、現実的には無理なこともあるでしょう。
とはいえ、ルールに書いてないルールを振りかざすのであれば、当該のサークルが納得するような形で十分な説明をした上で明確かつ妥当なペナルティを科す流れは必須でしょう。
とりあえずメモ。
とりあえず安倍政権のやってることは気にくわない話が多すぎるわけですが。
「戦争法案」って名前付けは広告代理店的プロパガンダのにおいが強すぎますが、多くの憲法学者がノータイムで違憲と言ってる*1ってことは、たぶん伝統的な憲法解釈ではアレは違憲の可能性が高いんでしょう。
安倍政権の憲法改正やそれに類する何かについて、憲法学者側がさまざまな立場に立って議論が活発に交わされたことはたしか一度もないはずです。だって多くが一致して「ありゃアウト」なわけで。
……というのとは全く別問題で、SEALDsのデモに合法性が怪しいという話が出てきました。
どこまで本当のことか分からないですが、紹介。*2
日本は一応民主主義国家で、表現の自由が実質的にも一応あります。下で紹介しているような国とは違って、反政府デモに対して警察や軍隊が銃口を向けてくる国ではありません。
「戦車男」撮影は奇跡-天安門事件25年でカメラマン語る – WSJ
反政府デモが合法的に行える環境である以上、政府批判は合法的な手段を執るべきです。あえて違法な手段を使って、違法性を攻撃されて政府批判の説得力が弱まるようなことをすべきではありません。
ここしばらく、オリンピックロゴをめぐる炎上事案で「社会がフラット化していること」、つまり権力の絶対性が失われつつあることを論点とした議論が出てきています。
例えばこれとか。
これとか。
しかし、あんまり権力を甘く見ないほうがいいのではないか?と思いますね。
市民一人一人が何を言おうが、市民が結託しても、それ単独では何も変わりません。
例えばこれ。
3万人が集まろうが、7万人が集まろうが、12万人が集まろうが、それだけで政治は変わりません。法は変わりません。
政治を変えるのは、彼らの集まりから世論をくみ取った国会議員たちです。
オリンピックのロゴも、結局ネットの世論が社会を直接変えたわけではなくて、東京オリンピックの組織委員会=権力が形を変えたわけです。
過去のネット炎上が社会を変えた事例を見ると、結局炎上の影響を受けて動いた権力者が何らかの形でアクションを起こしているのを見て取れます。
花王不買運動デモとかありましたし、あのときは確かに花王の売り上げ落ちてたって情報がありますけど、でも花王は潰れなかったですよね。権力者が何も動かなかったから。
逆に言えば、本来取り上げるべきではないアカン系の事案でも、権力者がそれに乗っかってしまうと被害は大きなものになります。
一般市民が誰かのことを「あいつら特殊市民だから」と言い放っても個別の差別問題として部落解放同盟が動く可能性はあっても、民主主義の根幹を揺るがす構造的な問題にはなりません。
だけど、権力者であるところの市長が発言すると、このように「恐ろしい話」とされるわけです。
もっと小さなレベルでも、青ブーブーのサクチケ転売者追放事案。プロセス自体はスタッフが暴走して起こしたと考えられる事案だったわけです。
即売会スタッフというのは、同人活動の世界ではサークル参加の選別(抽選と言ってるところもありますが、形式的には選考の色彩あります)を通じて権力*1の一翼を担う人間ではあります。何かやったら即売会スタッフ*2にこういう形で社会や市場へのアクセスを断ち切られるかもしれないというのは、やっぱり恐ろしい話ですよ。
いまの日本社会では、まだまだ権力者を甘く見ない方がいいと思います。
社会的制裁、って言葉があります。例えば犯罪を犯した人が解雇処分を受けたり、その他いろいろと不利益を受けること。
制裁の主体は不明*1だし、だいたいデュープロセスなんてモノはないし、そんなものの存在を想定していいのか?って疑問もありますが、だからといって制裁成立を否定するわけにもいかず、法的にもかなり困ったちゃんな話なんじゃないかな……と思ってます。
そんな今日、津田さんのメールマガジンで流れた文章。ちょっと長いですが引用します。以下引用は津田大介「メディアの現場」Vol. 178より。*2
●こちらが到着する直前に、辺野古移設に賛成するオスプレイファンクラブ( http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/news/130724-osprey.html )が嫌がらせをしに来ていたそうだ。彼らの嫌がらせはまさに「写真」を撮影すること。ゲート前に車を停めてニコニコ笑いながら写真を撮影し、ゲートの中に入っても(上の記事であるように、米軍と交流をしている)中からゲートに向かって撮影し、その写真をブログなどに掲載する。
●彼らがやっているのは撮影してネットで拡散するだけではなく、ゲート前に参加している人のフルネームを割り出し、自宅や職場、それらの電話番号などを調べて、イタズラ電話や、職場に誹謗中傷の怪文書などを送るそうだ。
●そういう連中が来たばかりの直後にのこのこ見慣れない人間たちが来たから向こうも「また来たのか!」と熱くなったということだった。そりゃ、そういうことがあったら熱くもなるよね。しょうがない。
●国会前で活動しているSEALDsメンバーにも、フルネームや大学名晒していろいろな嫌がらせが絶えない。
●こういう「リアル」な社会にじわじわとダメージを与える卑怯な手法が共通しているのはなんなんだろうね(しかもそういうことやるのは全員顔も名前も出さない匿名だ)。
●ネット時代だからこそ生まれる、そういう新しい「人権侵害」に対抗するためには何ができるのか。多分自分にとってもそれは今後10年くらい考えるテーマになるだろう。いろいろ考えて、今回のゲート前の写真は結局ツイッターにはアップしなかった。今度ゲート前訪れたときにどうするかはまだ決めてない。
そして、最近の深澤弁護士のツイート。*3
トラブルが生じたときに,自分の要求を押し通すために,関係先に相手方を誹謗中傷する怪文書を送りつけるという手法,たびたび見かけることが増えたのだが・・。 どこのだれが広めているんだろう?逆に金払ったり,捕まったりすることになるんだが・・ね。
— 深澤諭史 (@fukazawas) 2015, 8月 28
こういう手法で相手に対する社会的制裁が成立するかというと、実際の所「制裁に乗った」時点である意味駄目なんですよね。たとえばこの手の怪文書を根拠に解雇処分下したら、解雇無効判決はさすがに免れないのでは。
とはいえ、一方で相手がフリーランスだったりすると普通に効果出てしまうこともあります。雇う側にとってリスクは少しでも減らしたいのは当たり前で、「こういう連中にロックオンされている人を雇う」こと自体がリスク。*4
で、黒子のバスケ事件を思い出してみましょう。あの事件では、脅迫状が「イベント会場周辺の店舗」にばらまかれました。そして、最初の脅迫のあたりで実際に硫化水素ガスを散布する事件もありました。*5イベント会場や主催者はイベントを開催することで利益を得ますが、その周辺の人たちって業種によってはイベント開催によって利益を得ることなく、リスクだけを背負う結果になるんですよね。そりゃイベント中止を求めるのは当たり前ってものです。
まさに津田さんの言う通りで、何ができるのか?と考える程度の話題なんですよね。それ以上の行動力のあるアクションを起こしにくい。
犯罪予告やその他業務妨害ではなく、むしろ業務改善のための提案ですらある。でも実際は改善提案の重みと使ってる武器があまりにミスマッチすぎる。
まずは、社会の一人一人がこういう「人権侵害」に乗らない、そういう立ち位置を明確にするしかないのかもしれません。
(以下2015/09/01追記)
よく考えたら、こういう怪文書とか攻撃って、ぶっちゃけ単なる名誉毀損なんですよね。相手が公職選挙にでも出てない限り、公益性の証明は難しいはず。「彼は周囲に被害をもたらす犯罪者なので社会から追放しましょう!」はアウトです。
なわけで、結局警察機能の強化が重要なのかな、と思い直してみました。
日本の警察には「民事不介入」という不文律がありますが*6、そもそも民事不介入の考え方自体がおかしいわけです。
被害者に落ち度があろうが、それは被害を受けるリスクを高めるかもしれないけれど、故意に行われた加害者の責任は決して軽減されない。*7なので、違法行為があったら警察はきちんと動いて摘発すべきものは摘発する、そのスタンスを明確にすべきなのでしょう。
道路交通法で明らかな通り、摘発される可能性がきわめて低い法は誰も本気では守りません。普通の空いてる道で制限速度を守って走っている車がどれだけいますか?そういうことです。誹謗中傷が取り締まられないのなら、誰だって名誉毀損や偽計業務妨害をNGとは思わない結果になります。
*1:だいたい自分を正義と同一視したい匿名、もしくは顕名の自称権力者ですよね。
*2:有料メルマガの引用基準は個人的に悩ましいところで、まだ公平な慣習が作られていないとも思っています。もしNGならお知らせください>津田さんもしくは関係者界隈
*3:そういえばツイートのこういう埋め込みリンクって、著作権法的にはどういう話なんでしたっけ。Twitterの利用規約で解決する契約の問題、と解釈すればいいのかな。それとも140字には著作権成立せずの方向?
*4:そりゃアフガニスタンやシリアに行くのがリスクというのと同じ構図なんですが、実際にアフガンにはアルカイダはいるし、シリアにはISISがいるし。
*5:ええ、硫化水素って化学兵器を使った無差別テロだと思うのです。サリンよりは毒性弱いとはいえ、硫化水素は相当ヤバいですよ。それこそオウム真理教と同類の事件です。
*6:なんだか根拠が「なくもない」程度の話のようですが、少なくとも民事の色彩が少しでもある事件を摘発しないなんて話はおかしいです。
*7:ただし、被害者が利益目的で違法行為の片棒をかついだ結果当該の違法行為で被害を受けた場合、故意の違法行為であっても一種の過失相殺が行われることはあるようです。具体的にはマルチ商法への参加など。