私はかつて、「織姫オペラシアター」という大規模な同人企画を運営していました。
この企画の意図は、大まかにみて以下の通りでした。
- 同人文化圏にオーケストラ、合唱、演劇をインフラとして構築し、運営する
- それらのインフラを有機的に結合し、同人文化の総力をもってオペラ公演を実現する
多くの方がご存じの通り、この企画は挫折し、結果として組織を解体しました。
スムーズに運営出来ず、目標を達成できなかったという点において、織姫オペラシアターは良い企画ではありませんでした。
良くない企画の立ち上げおよび運営によって、社会のリソースを本来うまくいかない企画に用いたことで、より良い企画にリソースを割くことができず、社会に迷惑をかけたことを引き続き謝罪します。
また、M3準備会をはじめとする社会との間で、私は全く同じ種類の企画を運営してはならない、という社会的合意があったと理解しています。
この合意には2つの意味があります:
- M3準備会およびコミックマーケット準備会が最大級のインフラを提供し、そのインフラ上にて活動する以上、M3準備会の価値観にはある程度従わなければならないということ。
- そして、全く同じ種類の企画は自然に考えて全く同じ失敗を引き起こすため、失敗を繰り返してはならない、ということ。
M3準備会がどのように主張するか私は認識していませんが、少なくとも私は以上の認識を持っており、全く同種の企画を再度立ち上げるつもりはありません。
一方、同人の根幹にはクリエイティビティがあり、「やりたいことをやる」ことが尊ばれる空間です。
私は、オペラ公演の実現に向けてのプロセスと位置づけて、織姫オペラシアターで運営するいくつかの企画を検討していました。 それらの企画については、織姫とは別の形をとり、リスクを低減した上で実現したものもありました。典型的にはMagna Solemnitasがその最大のものです。
現在は、織姫オペラシアターをめぐって次のクリエイティビティへ向けての検討を始めております。
織姫オペラシアターはどのような問題を内包していたのか、その問題のうち何が織姫のアーキテクチャにおいて本質的かつ致命的だったのか、もしくは純粋に運営のまずさだけが問題を引き起こしたと言える問題なのか
織姫オペラシアターが引き起こした問題については、問題の解決がなされたことについて社会との合意が作られる必要があります。 そして、現在のところ、何が社会によって問題とされるのか、現時点では私はそのような対話を社会全体との間で行えておりません。そして、今のままでは未来永劫できないだろうという予想をしております。
その上ではありますが、織姫オペラシアターが原理的に間違っていた部分、原理的ではない間違いを抱えていた部分、それぞれを考えることはできるはずです。
これは、織姫オペラシアターという悲劇的な事件を起こした自分が、社会に対してできる数少ない懺悔です。
織姫オペラシアターを正しい企画だったと言い張るつもりはありません。織姫の正当化は、ホロコーストが正しい、911テロが正しい、南京大虐殺はなかった、と言い張ることとほぼ変わらない種類の反社会的言動です。
ですが、織姫が本質的に誤っていた部分を知ることには意味があるはずです。 私は、そのような研究に本格的に着手します。
M3準備会に定期的にサークル参加することをやめる以上、M3準備会の価値観に私はもはや縛られません。
タブーなき形で、織姫オペラシアターの間違いを探求します。