ちょっと気になるツイートを見つけました。
南海にしても市場寿司にしても、現場の判断ミスがあっただけなのに会社ぐるみみたいに反応するのはちょっとダメなんじゃないかと思う。
数人おかしな言動をした従業員が居たらダメな会社だって見方って、マナーが悪いヤツを数人見たから某国の観光客は全員駄目みたいな見方とさしてかわらん。— にしむら 9月3日から河南省 (@Nishimuraumiush) 2016年10月12日
まず、現場の判断ミスは前提にします。その上で、その現場の判断ミスに対して企業全体がどのように責任を負うべきか。
「現場と会社は一体ではない」というのは甘い議論ですが、「マナーが悪いやつが数人いたら某国は全部ダメ」ってのが荒っぽいのと同様に、「現場ダメなら会社駄目」を決めつけるのも荒っぽい議論です。
以下細かい議論として、折りたたみます。
まず、組織の一員が誰かに明確な金銭損害を与えるようなミスを起こした場合、その損害について責任を負うのはまず最初に組織です。ミスを起こした個人と組織の間での責任の分担は内輪で考えてもらえばよくて、外向きから見たら組織が対応すべきこと。ただ、今回の件ではほぼ関係ありません。
現場の判断ミス、特に今回のような反倫理的なミスについて、組織が現場の判断に寄り添うのか、寄り添わないのかを明らかにすることが重要です。
組織として現場の判断を切り捨てることは十分にできて、その場合「現場の人間がミスを犯した。組織としてこの判断は是認しない」と言い切れば、組織の負うべき責任は教育の失敗*1(=現場のミスを引き起こした)と業態によっては現場管理の失敗(=現場のミスを止められなかった)に局限できます。今回は現場の人間が直接末端のお客様とふれあう部分の問題なので、管理の失敗はほぼ考える余地がないでしょう(失敗しなくても同じことが起きる)。組織の責任は「組織を潰す」ことによって購うのではなく、教育を徹底することで未来に向けて再発防止ができるはずです。
それができない場合、組織は現場の判断に寄り添ったと考えることができます。そうなった場合、「そもそも組織が差別を是とした」話になるので、それこそ「ダメな組織だから、中の人間がダメな行動を起こした」という単純な構図になります。
というわけで、この手の問題は会社が早急にアクション、特に立場を表明することが重要じゃないかな?と思います。
かつての中国反日デモ問題で、ユニクロとアウディの中国現地従業員が反日行動を起こしたのを覚えていますでしょうか?
ユニクロは、「こういうことは会社として不適切」と認めました。アウディは「会社は政治に関わらない」と表明しました。
前者の表明はとても良い表明です。現場の不適切な判断を切り捨て、トップはマトモであることの証明でした。
一方、後者の表明は(おそらく意図としてはアウディとしてこういう表明をすることはない、ということだったのでしょうが)「現場がやったことを良いとも悪いとも認めない」という意図に受け取れるものです。既にそこに政治がある以上、アウディがこの手のホロコースト宣言を否定するのはストレートに政治です。政治に関わらないということは、ホロコースト宣言を否定しないということになります。
結論として、生まれたコラがこちら。
このエピソードからも、迅速かつ適切な表明の大切さが分かります。
*1:そもそも現場の人間に致命的な素養の欠陥があると、十分な教育がなされていてもこの手の話は止められないので、その場合は責任は「現場の判断を切り捨てる」行動までで果たせるのかな?