この手の話をすると燃える、ってのは脇に置いて。
まず、ヘイトスピーチが良いものか悪いものかといえば明確に悪いものですし、反人道的なものである、という理解を前提に置きます。
一方で、ヘイトスピーチへの糾弾に法的な裏付けを与えた瞬間「表現の自由」とのバッティングが起きることも認識しています。例えばヘイトスピーチに表現の自由を与えるなら法的に糾弾できなくなるという話ですし、逆にヘイトスピーチを表現の自由の枠外にした場合「ある特定の表現を自由の枠外に追い出す仕組み」はおそらく政治的に悪用可能です。なので、ヘイトスピーチの排斥は、おそらく法的な裏付けを持たない形でやる必要がある、ということでしょう。
もし私がこういう宣言をした場合、同人界隈からはどのくらい歓迎されるのでしょうか?
- ヘイトスピーチ、ヘイトクライムの定義として、人種差別撤廃条約による定義を私はひとつの最低ラインとして信じます。これが差別の全てではないとしても、このような差別は許されてはならない。
- 私はヘイトスピーチ、そしてヘイトクライムを許しません。
- ヘイトクライムは(その他の性犯罪を含む各種犯罪を含めて論理は同じなのですが)犯罪である以上取り締まられないという構図が本来はおかしく、もしヘイトクライムに対する取り締まりが(そのような犯罪を起こさない、というインセンティブが成立しない程度に)適切かつ十分に行われていないとしたら、警察の怠慢を批判します。
- ヘイトスピーチに対しては法的な裏付けを持った批判が困難だとしても、私は人道として批判します。
- そのため、ヘイトスピーチを振りかざす人とは、私は(同人におけるそれを想定して)クリエイターとしての仕事をしません。私にとって同人は本職ではないからこそ、同人ではより理想を追求する立場を取ります。
- また、私が主催するイベント、主導的な立場で参加するイベントでは、ヘイトスピーチを許しません、ヘイトスピーカーへの場の提供を行いません。
- 日本の法制度では暴力団に代表されるような反社会的勢力に対するこの手のアプローチが要請されていますが、ヘイトスピーカーに対しても同様のアプローチを取ります。
- ただ、一方で人は悔い改められる生き物でもあります。「主の祈り」にはこうあります:「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」差別主義者が心を改めたのであれば、(当然継続的な監視で裏付けられることを前提として)未来に向かって私は元・ヘイトスピーカーを許します。
- 嘘をつくことは許されないという立場から、「悔い改めた」と言いながらヘイトスピーチやヘイトクライムを続ける行為は、単純なヘイトスピーチやヘイトクライムよりも罪が重いと考えます。
皆様のご意見をお伺いしたく。
以下に意図をたたんで追記していきます。
そもそも「表現の自由」の枠組みを受け入れた上でのヘイトスピーチ排斥は不可能だし適切ではない、というのが私自身の見解です。なのでヘイトスピーチ排斥はもっと別の手段を見つけないといけない。
なので、基本的なトーンは「ヘイトスピーチの禁止は私が関わる場所でのルールだ。このルールが嫌なら出て行け」にもっていきます。
同人即売会に例えると、例えば「オリジナルオンリーイベントで艦これ同人誌を頒布してはならない」と同レベル。
ルールとして明確に定めることで、「ヘイトスピーチの禁止」ではなく「事前に定められたルールへの違反」という形で法的強制力を持たせられる可能性があることも期待しています。例えば、単純に「ヘイトスピーチの禁止」に頼るとヘイトスピーカーが会場内に立ち入ることを制止しづらいですが、ルールにしておけば法的に強制力を持った制止が容易です。
一方でルールが明文化されることで境界が明確になり、ハックしやすくなるのも事実。そこらへんは実例を見ながら考えて行きたいところです。……というか、このルールを「どうハックすればいいのか」具体的な方法が自分自身思い付いていないだけなんですが。
あとは、そもそも「永久追放」の類は本質的に筋が悪いと思っているので、そこを「悔い改め」のモデルに持って行っています。それこそ「永久追放」ってハック簡単ですしね。