ここしばらく、オリンピックロゴをめぐる炎上事案で「社会がフラット化していること」、つまり権力の絶対性が失われつつあることを論点とした議論が出てきています。
例えばこれとか。
これとか。
しかし、あんまり権力を甘く見ないほうがいいのではないか?と思いますね。
市民一人一人が何を言おうが、市民が結託しても、それ単独では何も変わりません。
例えばこれ。
3万人が集まろうが、7万人が集まろうが、12万人が集まろうが、それだけで政治は変わりません。法は変わりません。
政治を変えるのは、彼らの集まりから世論をくみ取った国会議員たちです。
オリンピックのロゴも、結局ネットの世論が社会を直接変えたわけではなくて、東京オリンピックの組織委員会=権力が形を変えたわけです。
過去のネット炎上が社会を変えた事例を見ると、結局炎上の影響を受けて動いた権力者が何らかの形でアクションを起こしているのを見て取れます。
花王不買運動デモとかありましたし、あのときは確かに花王の売り上げ落ちてたって情報がありますけど、でも花王は潰れなかったですよね。権力者が何も動かなかったから。
逆に言えば、本来取り上げるべきではないアカン系の事案でも、権力者がそれに乗っかってしまうと被害は大きなものになります。
一般市民が誰かのことを「あいつら特殊市民だから」と言い放っても個別の差別問題として部落解放同盟が動く可能性はあっても、民主主義の根幹を揺るがす構造的な問題にはなりません。
だけど、権力者であるところの市長が発言すると、このように「恐ろしい話」とされるわけです。
もっと小さなレベルでも、青ブーブーのサクチケ転売者追放事案。プロセス自体はスタッフが暴走して起こしたと考えられる事案だったわけです。
即売会スタッフというのは、同人活動の世界ではサークル参加の選別(抽選と言ってるところもありますが、形式的には選考の色彩あります)を通じて権力*1の一翼を担う人間ではあります。何かやったら即売会スタッフ*2にこういう形で社会や市場へのアクセスを断ち切られるかもしれないというのは、やっぱり恐ろしい話ですよ。
いまの日本社会では、まだまだ権力者を甘く見ない方がいいと思います。