これ、同人サークルも大学サークルも同じことだと思うんですが、明治大の例の件とかも含めて、「どんな組織でも自由に存在して、公共のリソースを使って良い」という時代は少なくとも日本でな終わりを告げたのかなーとも思うのですよね。
日本のNPO法人の枠組みでは、社会全体に対する説明・社会全体による監督の仕組みが重視されています。実際にどこまで回っているのかは不明ですが、たとえば東京都だとこんなのがありますね。
これと似たような枠組みを、同人サークルも含めてありとあらゆる組織に適用するのはいかがでしょうか。
とはいえ、説明責任を追求する権利を無秩序な市民に広く認めるのはそれはそれで多分まずいんですよねぇ。ネットの炎上見ていれば分かる通り、アレで真相なんか分かりやしません。
明治大の件だって「薬を飲ませたのでは?」という疑惑について「飲ませた。ただし違法薬物ではなく睡眠導入剤」という情報を引っ張ってきたのはネットの電凸ではなく東スポの組織的な取材*1でした。ちゃんとした知性を備えた取材能力は、やはり重要なのでしょう。
というわけで、明治大の例のサークルは「自分たちが不祥事を起こしたにもかかわらず、公認サークルとして存在し続けることの社会的有益性」を明治大に対して説明する必要があると考えます。
で、社会的有益性の説明で一番簡単で適切なのって、社会貢献事業の実施実績/計画なんですよね。これだけの貢献をしているからそれに見合うだけの公共リソースを使う権利がある、という枠組みになります。
自然人の場合は基本的人権はそもそも天賦のものなのでこの手のロジックはヤバいわけですが、自然人ではないグループや、もしくは基本的人権として天賦であるとは言えない範囲の公共リソース活用に関してはこの手のロジックを適用していくのはいかがでしょうか。
……Harmonie Chromatiqueの公共性、社会的有益性ですか?うーん、今のところプラスと言い切れる説明ができないんですよね。それが確かに頭が痛い。
十分な売り上げを上げて、市場原理を通して社会的有益性を立証できるようにがんばっていきます。
*1:これがもっとマトモなメディアなら信頼度高かったのに。